「チャンネル」というテレビと同じ括りを用いて

ゲーム機を色んな人に触ってもらおうとする「Wii」。

果たしてその意味はなんなのか。


私の持論として,コンテンツ産業は多様性を持たなければ衰退する,というのがあります。

当然のことではあるのですが,権利が複雑に絡み合う映画産業などにおいては

その多様性が,形式上は保持されているように見えても,資金面などにおいて

抑制されているという産業構造が存在します。

ゲーム産業はそのような縛りが比較的緩く,それゆえ発展できたと考えています。


技術進歩の過程で,多様性を失い始めたのがゲーム離れを生み出した

原因であるとも考えています。


いま,任天堂がDSやWiiで提唱しているゲーム人口の拡大にあたっての戦略,

すなわち,脳トレ,nintendogsなど幅広い層に働きかけるだけの多様なコンテンツを提供すること

というのは,上記のようなことから考えれば自然とも思えます。


しかしながら一つ疑問を提示するとすれば,

例えばソニーがやってきたような,DVD機能をつけることで,ゲームをしない人にも

ゲーム機を触ってもらう,という戦略とは,何が違っているのか?ということがあります。

それは,確かにハードウェアの側面からライトユーザーを取り込むのか

ソフトウェア,コンテンツの面から取り込むのか,という違いはありますが

根本的には違わないと考えていいようにも思えます。


というのも,Wiiチャンネルの中に,お天気チャンネルやニュースチャンネルというのがありますが

もしただ,お天気チャンネルだけを利用する家族がいたとして,

その人がゲームには全く触れなかったとして,その人がWiiを使用したことは

ゲーム人口の拡大と呼べるのだろうか,ということが考えられないでしょうか。

それは,PS2を買って,DVD再生機としてしか使用しないのと変わらないはずです。


私は,任天堂がゲーム人口の拡大と叫んで,Wiiリモコンを開発したことは評価しますが

お天気チャンネルやニュースチャンネルは,利用したいと思いますが

これまでの任天堂の姿勢を貫いているとは言えず,評価できません。

Wiiはビジネス的には成功すると感じていますが,結局のところ

私たちはゲーム機を買っているのか,ゲームも出来る端末を買っているのか

そういうことを考えなければならないのは悲しいことだと思います。


任天堂は娯楽の会社だから,娯楽で勝負しなければならないし,

だからあくまで「ゲーム機」としてこだわってきたのが私は好きでしたが

Wiiというのはゲーム機とテレビとインターネットの中間地点からややゲーム機寄り,

という面があり,携帯電話がゲームコンテンツを搭載できることと似ています。



デジタル化の社会においては,ハードウェアは一つでソフトウェアを組み込む事で

色々なことができる,ということがどんな場面にも発生します。

ゲーム機はゲームをするためのスペックやコントローラがつき,

携帯電話は電話をするためのマイクやアンテナがある,

それだけのことであり,全て半導体が入ったコンピュータであることには変わりありません。


ゲーム機とは何か,を考えるとき

それがゲーム機であるという理由を求めていくとき

他のハードウェアにはないユーザーインターフェースを持ったコンピュータ

というところにしかよりどころを見つけられないかもしれないことは

少し寂しい感じもするのです。