脳トレ及びDSのヒットがあり,
ゲーム人口の拡大,と任天堂が謳う昨今,
岩田社長の分析であるように,今までゲームをしない層に訴えかけることができた
というのは然りであろうと思う。
私はDSのヒットに,
もうひとつ重要な側面があると考えている。
それは,「ゲーム機ならでは」の要素を持っているかどうか,ではないだろうか。
私たちは今やゲーム機を一つのAV機器として捉えているが
もとはといえば「おもちゃ」であったはずであることは忘れてはならない。
あの「ウルトラハンド」や「光線銃」を生み出した任天堂が発売した
新しい「おもちゃ」が「ファミコン」だった。
「ファミコン」では,他にはない使いやすいコントローラと他にはないゲームソフトがあった。
それをプレイするには「ファミコン」という機器を買うことが不可欠だったのだ。
それがなんたらの法則とやらが示すように,デジタル化の波の速さは並大抵ではなく
コンテンツはもはやカセットやカートリッジのように現物ではなく,データ化,すなわちその姿を無くした。
この流れはなんのことはない,ハードウェアがソフトウェアへと移行する,万物の潮流だが
この流れに気付かなかったのがゲーム業界であった。
カートリッジにこだわるメーカーもあれば,光ディスクを利用するメーカーもあったが
そんなことは根本的な問題とは関係なかった。
既にゲームコンテンツは,パソコン上ではエミュレータを通じて遊ぶことができ,
携帯電話上では,ゲームコンテンツの配信さえ行われている。
ゲームコンテンツはゲーム機のアドバンテージではないのだ。
「面白いコンテンツがあれば,消費者は仕方なくゲームハードを買う」
これはある意味正しいが,現代において,ゲームコンテンツをゲームハード上で独占すること
それ自体が困難であり,むしろ独占することを嫌うユーザーはゲームを離れていったのだ。
「仕方なくゲームハードを買う」より「ゲームハードをあきらめ,代替品でまかなう」のが現代人である。
そんな中,本当に見つめなおしてみなければいけないのは,ゲーム機のアドバンテージであった。
ユーザーはゲーム機でしか遊べないゲームコンテンツでなければ,パソコンや携帯電話上で遊ぶのだ。
タッチペン+2画面+マイクという非常に奇妙な組み合わせの機器を備えた
PCでもない,タブレットでも携帯電話でもない,何とも表現のしようがない,新しい「おもちゃ」。
その「おもちゃ」でしか遊べないゲームが,確かに,ある。
だってこんな奇妙な機器は他にはないから。
それがゲーム機のアドバンテージだったのだ。
だがこれは換言すれば,ゲームコンテンツをいかにゲームハード上で独占するか,の別の方法だったと言える。
今までは,任天堂株式会社が携帯電話ではゲームを出さないようにする。
ソニー株式会社がパソコンでは遊べないほどの高性能なハードを出す。
そんなことで独占しようとしたって,スクウェアエニックスは携帯電話でドラクエやFFを出すし
パソコンの性能が追いつくのは時間の問題だし,むしろ性能なんかどうでもいいぐらいに高くなった。
本当に独占したいなら,物理的に,「ゲーム機」としてグループ分けされるような機器を作るんじゃなく
これはなんだ?といわれるような「おもちゃ」を作って,
それでしか,どうしても,どうしても,そのおもちゃでしか遊べない
から仕方なく,ハードを買う,ようにすれば良かったのだ。
最初から,ゲーム機とはそういうものであり,ここ最近はゲーム機のアドバンテージが極端に減少していただけだ。
センサーバーや加速度センサーのついたパソコンなんかはなかなかない。
だからそれのある「おもちゃ」を買わなければ,ゲームコンテンツを遊べない
そんな状況を作り出し,ゲーム機は復権することができるというわけである。